藤井知昭先生のご逝去に寄せて
愛知県合唱連盟理事長 河辺泰宏
2023年3月24日未明、元愛知県合唱連盟理事長・現顧問の藤井知昭先生が亡くなられ、27日にご葬儀が行われました。満90歳でした。会場の長円寺会館(ご自宅)には、合唱関係者をはじめ民族音楽など様々な分野の研究者、演奏家、文化団体の方々が集まられ、故人とのお別れを惜しんでいました。
藤井先生は、愛知県合唱連盟創設の中心となり30年の長きに亘って理事長を務められ、地域の合唱活動の基盤を作られ、その発展に多大な貢献をされました。愛知県連の前身である東海合唱連盟、中部合唱連盟の時期から数えるとその活動は半世紀以上に及び、理事長を退かれた後も顧問として当連盟を支え続けて頂きました。理事長退任にあたっては多額のご寄付を頂き、これを基金として20年間に亘り、創造的な活動実績を上げた合唱団に毎年「藤井賞」を贈らせて頂きました。
私が初めて先生にお会いしたのは45年前。まだ木造寺院であった頃の長円寺でした。名古屋大学の「大学祭合同演奏」の運営について相談するために名大男声、医学部混声の指揮者と共に伺いました。当時私は、名大混声の学生指揮者でしたが、この合唱団は藤井先生が作られた教養部混声合唱団を前身としています。青春を彩った名古屋地区大学合唱連盟の思い出も尽きませんが、これもまた藤井先生の作られた学生組織でした。その後、藤井先生が音楽監督を務めるグリーン・エコーに入団してから現在に至るまで、私は常に先生の「遺産」の中で音楽活動を行ってきました。1998年から理事に加えていただいた愛知県合唱連盟も然り。合唱連盟と名フィルの「第九」も先生が築かれた歴史ですし、名古屋市とともに開催してきた「市民の第九」の愛知合唱協会も先生の遺産です。遡ってみれば、1962年に始まった名古屋オーケストラ連盟(当時まだ名フィルは設立されていませんでした)と愛知県合唱連盟との「第九」公演がそのきっかけになった訳ですが、その時の合唱指揮は藤井先生でした。
先生が常におっしゃっていたのは「音楽は誰のためにあるべきか」という問いです。1959年の伊勢湾台風で多くの学校が被災したのを目の当りにし、その年のコンクール出場を断念し、チャリティ演奏会に専念。地域の小中学校へ20台以上のピアノとオルガンを寄贈したそうです。今ここに集う我々が、もしかするとそのオルガンで音楽を学んだ世代であるかも知れません。音楽活動は確固たる「運動論」に裏付けられていなければならないという先生の信念は、私の心の柱として今も生き続けています。合唱連盟ほか様々なところで活躍されている人々に、先生のDNAは確実に受け継がれていくものであると信じて止みません。
働き詰めだった生涯を終えられ、今しばらくはひと時の安息を得られ、その後はまた天国で新しい合唱団を作ってください。私もいつの日か入団させて頂きますから。
ご逝去にあたり心よりご冥福をお祈り申し上げます。
高須道夫先生のご逝去を悼む
愛知県合唱連盟理事長 河辺泰宏
元愛知県合唱連盟理事長(現顧問)の高須道夫先生(83歳)が2022年1月13日(木)にご逝去されました。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
雪の日の深夜、突然の訃報に接し言葉を失いました。先生は、長きに渡って愛知県の合唱文化を支え続け、理事長として合唱連盟を導き、名古屋芸術大学、クール・ジョワイエ、みどりの会、名古屋混声合唱団などを率いて輝かしい成果をあげて来られました。まさしく愛知県合唱界の宝でした。私自身にとっては、大学合唱団で学生指揮を務めていた頃から合唱の素晴らしさを教えて頂き、名フィル『第九』を指揮するきっかけを与えて下さり、さらには合唱連盟の理事にお誘い頂いた「恩師」でありました。
マーラーの『千人の交響曲』や林光の『原爆小景』を指導されている先生の姿と張りのある声、そしてその音楽哲学までもが、今もなおリアルに甦ってきます。音楽に対する真摯な姿勢は、時に厳しくもあり、しなやかでもありました。『第九』の楽譜を示しながら細部に至るまで演奏のポイントを丁寧に教えて頂いたこともありました。今も、練習中に、先生ならどうされるかなあ…と思うことがあります。
連盟理事長を退かれた時、「後進に道を譲るには適切な時期というものがある。次は君が長谷先生をお支えしなさい。」と言われたことがとても印象的でした。先生はまた「いつまでも勉強し続けなさい。」ともおっしゃいました。音楽に完成ということはなく、ゴールだと思ってもすぐその先に未知の世界が広がっていることを常に意識されていたのでしょう。
高須先生の存在は大きく、まだまだお仕事を続けられる年齢でご逝去されたことが返す返す悔しくてなりません。今はただ、ご恩に深く感謝申し上げ、ご冥福を祈るばかりです。
長谷順二先生のご逝去に寄せて
愛知県合唱連盟理事長 河辺泰宏
全日本合唱連盟名誉会員・前全日本中部支部長、前愛知県合唱連盟理事長(現顧問)の長谷順二先生(70歳)が2021年3月13日(土)15時17分にご逝去されました。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
先生は、15年間に渡って愛知県合唱連盟理事長をお勤めになり、その間、本連盟は様々な事業の拡大・充実と加盟団体の発展を遂げることができました。そのご功績は計り知れず、中部支部及び全日本の役員としても並々ならぬご尽力を賜りました。コンクールではノース・エコーを率いて輝かしい成果をあげられ、また様々な合唱団の指導をされる中でつねに我々合唱人の規範をお示しになってきました。何より、音楽に捧げられた人生に深く敬意を表しますとともに、残された遺産の大きさにひたすら平伏申しあげるばかりです。
1月の高校アンコンの審査員は、急遽お願いしたにもかかわらず快くお引き受け下さって、ご病気のことなどつゆ知らず、訃報に接して我が耳を疑いました。その日の夕刻、奥様(現愛知県連副理事長長谷正子さん)からご連絡をいただき、只々胸が締め付けられる思いがいたしました。夜、夢の中に先生が現れ、仲間に囲まれて楽しそうに歓談される笑顔を見ました。先生は新しくできたラーメン屋に私を誘ってくださり、道すがらブラームスの『ドイツ・レクイエム』について話をされました。「透明さ」こそ合唱音楽に最も大切な要素であると熱く語られるのを聞いて、夢の中であの澄み切ったノース・サウンドが蘇ってきました。先生は、最後の床の中でもノース・エコーの『群青』を聴きながら指揮をされていたそうです。こうして追悼の手記をしたためていても目頭が熱くなります。
どうか、これからも私たちの心の中で励まし続けてください。そして以前と変わらぬ笑顔を見せていてください。
心よりご冥福をお祈りいたします。